2024年、Bリーグの頂点に立った広島ドラゴンフライズ。しかし、この栄光は決して偶然の産物ではありません。クラブが設立された2013年、広島のバスケットボール界はまだプロとは無縁の「ゼロ」地点にありました。
広島にプロバスケットボールチームを創設するという、無謀とも思える挑戦は、一体どのようにして始まったのでしょうか。そこには、地元への深い愛と、バスケットボールへの揺るぎない情熱がありました。
プロバスケ不毛の地だった広島
2013年、Jリーグのサンフレッチェ広島は黄金期を迎え、広島東洋カープも着実に強くなっている時代。しかし、バスケットボール界はというと、状況は全く違いました。大学や実業団の強豪はあっても、それらが廃部となれば、選手たちは行き場を失うばかり。地元で活躍を続ける道は、ほとんど閉ざされていました。
「広島から日本代表選手が生まれても、そのまま地元でプレーを続けられないのはおかしい」
この課題を解決するため、そして広島に新たな希望を生み出すために、プロチームの創設が立ち上がったのです。
「勝ち虫」に託した熱い想い
チーム名は「ドラゴンフライズ」。これは「トンボ」を意味します。トンボは前にしか進まず、後退しないことから「勝ち虫」とも呼ばれ、縁起の良い生き物とされています。また、広島のシンボルでもある「ミヤジマトンボ」に由来するもので、チームが地域に根ざし、ともに発展していくという強い決意が込められています。
チーム創設に込められた願い
- 地元選手が活躍できる場の創出: 県外へ流出する才能を留め、広島のバスケットボールをさらに盛り上げる。
- 地域経済の活性化: 試合開催やグッズ販売などを通して、街に活気と賑わいをもたらす。
- 夢と感動の提供: 子どもたちにプロ選手の姿を見せ、夢を与える存在となる。
- 広島を世界へ: バスケットボールを通して、広島の魅力を世界に発信する。
そして、チームカラーには、厳島神社の朱色と、瀬戸内海の青が選ばれました。クラブのアイデンティティは、まさに広島そのものなのです。
苦難の船出と、歴史を創った人々
いざチームを創設しようと動き始めても、道は平坦ではありませんでした。資金集めや選手獲得、そしてリーグへの参入交渉。どれも一筋縄ではいかないことばかりでした。それでも、広島のバスケットボールを愛する人々が力を合わせ、一つ一つ課題を乗り越えていきました。
2014年、ついにNBL(当時の国内トップリーグ)への参入が決定。クラブは本格的に活動を開始します。初代ヘッドコーチには、日本のバスケットボール界のレジェンド、佐古賢一氏を招聘。選手としても、朝山正悟選手(現HC)をはじめ、多くのベテランや若手が集まりました。
決して恵まれた環境ではなかった当時、選手たちはバスケットボールへの情熱を燃やし、一丸となって戦い抜きました。それは、広島ドラゴンフライズというクラブの礎を築いた、かけがえのない時間でした。
過去があるから、今がある
2024年のBリーグ優勝という栄光は、この「ゼロからの挑戦」がなければ、決して成し遂げることはできなかったでしょう。多くの人々の情熱と努力が、このクラブを形作り、現在の姿へと導いてきました。
広島ドラゴンフライズの歴史は、これからも続いていきます。しかし、クラブの原点である「地域への愛」と「挑戦する心」は、決して変わることはありません。



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